最初のキッカケ
自分の能力を高めるために勉強を始める。
やりたいことができるようになるために勉強する。
勉強を始めた最初のキッカケはそういうことだったはず。
手段が目的に変わる
なにかを得るためにしていた勉強が、いつの間にか勉強をこなすことに満足するようになった。
例えば、本を読んで内容をノートにまとめる。
まとめた結果を実践(行動)に活かす。
そのつもりだったはずが、ノートにまとめることが目的となる。
ノートにさえまとめていれば勉強している気になってしまっている。
本を読み終えノートにまとめたあとも、何を実践することもなく次の本に手を伸ばす。
で、同じことをまた繰り返す。
ノートにまとめられている安心感か、気が向いたらあとで見返せばいいと高を括る。
でも、興味が別の本に移るとそれを見ることはもうない。
本を読んでいるときは気になったところを書き出していたけれど、書き出したところでその役目が終わってしまう。
なんのためにノートにまとめているんだろうか。
勉強することが目的に変わる。
勉強をこなすために勉強する。
勉強をこなすことに頑張る。
いや、最初は自分を高めるために勉強していたはず。
いつから勉強さえしていれば安心するようになったのだろう。
実践(行動)なき勉強に意味はあるのだろうか?
なにかができるようなるために勉強していたはずだった。
そのなにかをアウトプットすることなく、インプットだけの勉強になっていないだろうか。
そのインプットでさえも、時と共に忘れ去られていく。
少しでも覚えたことを実践(行動)していく。
実践(行動)することによってどれだけ目標に近づいてきている初めてわかる。
その確認をしないで、どうして自分の能力が高まったかどうかわかるのだろうか。
いまやっている勉強が本当に目標に向かっているのかどうかわかるのだろうか。
実践(行動)を伴わない勉強をやっていて意味があるのだろうか。
未来のなりたい自分を想像する
なんのために勉強しているのかをいつも自問自答してみよう。
なにを得るために勉強しているのかを常に意識して勉強してみよう。
未来のなりたい自分を想像しながら勉強してみよう。
そして、未来のなりたい自分に近づくために実践(行動)しよう。
例えるなら、自分で家を建てる能力があったとする。
こんな家に住んでみたい、こんな家を建ててみたいと想像(設計)する。
どんな立派な家を想像(設計)しても、想像(設計)するだけでは家は一生建つことはない。
建てたい家を想像(設計)したら、建てるために行動しなければいけない。
どんな家を建てたいのか想像(設計)して、建てるための方法や手順を考えたりするのが「手段」。
実際に想像(設計)した通りに建てるのが「目的」。
「手段」が「目的」に変わるとき、想像ばかりになってはいないだろうか?
行動が伴わなければ「目的」が達成されることはない。
「行動」して初めて「手段」が活かされる。
勉強だけしていても目的が達成されないのは、目的のために勉強できていないからではないだろうか。
どうなりたいのか意識することが風化してしまって、勉強することが目的に変わってしまっていないだろうか。
勉強が辛くなったり、飽きてしまったりしたときにふと思い出してほしいのです。
どんな自分になりたくて勉強していたのかを・・・。
そう自分で自分に言い聞かせながら、勉強という手段を使って、どうやって目的を達成するのかを考えていきたいと思っている今日この頃です。