不自由さを感じると思い出す
普通に動けることが当たり前、普段は不自由さを感じることもない。
そんな中ケガをしたり、発熱で寝込むと普通の生活がいかに恵まれていたことに気が付いたりする。
「こんなにしんどいなら仕事していた方がマシだ」と・・・。
普段通り仕事をして、家に帰ってきてやりたいことをしてくつろぐ。
そんな何気ない日常が幸せだったりするのかもしれない。
不自由さを感じると思い出す。
遠くからみんなの笑い声が聞こえてくる。
そこには自分がいない。
一人ぼっちで過ごす布団の中・・・。
寂しさだけが込み上げる。
普通に動けるだけではもったいない
元気でいることが当たり前ではないことに気付くと、普段の日常生活に感謝の気持ちが沸き上がる。
普通に動けることを嬉しく感じるのだ。
で、普通に動けることだけではもったいないことに気付いてしまう。
歩くだけでも、姿勢を正し、気持ちを込めて歩かなきゃって思うようなる。
ご飯を食べるときも、今までは次から次へと口に運んでいたのが、ひとくち口に入れるたびに、お箸を置き、目を閉じて、全神経を味わうことに集中する。
「ご飯ってほのかに甘みがあるんだ」のように、食べるもののかすかな味を感じるようになる。
意識が変わると感じるものも変わるのか。
不自由さを想像する
普段意識もせずに呼吸していることに注目してみる。
呼吸は意識せずともできる。
死ぬまで呼吸をしていくのにこんなに無意識のままでいいのかという気持ちになる。
呼吸が変わればなにかが変わりそうな気がする。
海の中で呼吸ができない状況を想像する。息が続かなくなっても海の中だと呼吸したくてもできない。
そんな状況を想像すると、気が狂いそうになる。
呼吸ができないのはなにより苦痛だ。
そんな想像をしたあとにする呼吸は、身体の隅々まで行き渡るかのような呼吸になる。
呼吸できない不自由さを感じて、呼吸できる自由さを謳歌する。
意識の持ちようで
普段の何気ない行動も、意識することで変わることに気付く。
目が見えるのに意識して目に映る人やものを見ていますか?
声が出るのに意識して感情を乗せて声を出していますか?
食べることができるのに意識して味を確認していますか?
手が動くのに意識して指先の感覚を感じていますか?
足が動くのに意識して歩き方を見つめていますか?
やり方や感じ方は人の数以上に存在する。
自分で自分を変えられる楽しさを見つけよう。
他人を見ると、何十年とこの性格で生きてきた人は変えられないと言うけれど、自分自身のことは自分で変えられる。
自分の意識の持ちようでいくらでも変えられるのだ。
他人からは諦められても、自分だけは自分のことは諦めてはいけない。
自分が諦めたら誰も自分を変えてくれる人がいなくなるのだから・・・。
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「ランキングへの参加」はまだよくわからずに貼り付けています。
とりあえず「まずやってみる!」の精神ですかね(*^-^*)