はじめに
外へ出ると湿度と熱気で不快感が増しますね。
湿度が少ない南の国へ飛び立ちたい気分です。
今日は「言ってもらえる内が花だったが真価を問われるのは・・・」というお話です。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
分かれ道!
「言ってもらえるうちが花」・・・注意されたり、指摘されたりする間が、実は一番良い時である
年齢や経験を重ねていくうちに、いつの間にか口うるさく言われなくなりました。
最初の頃は何をやっても言われていたのが、どこかのタイミングでパタッと言われなくなりますよね。(-ω-;)アレ?
口うるさく言われていた頃は、「うるさいなぁ」「わかってるよ」と思っていたのが、言われなくなると、「やっと言われなくなった」と喜んでいたものです。ヾ(*´∀`*)ノ
だけど、人によってはここで言われなくなったのを素直に喜んでいいかどうかの分かれ道。
言われなくてもできるようになったから言われなくなったのか。
それとも言う側が諦めて言われなくなったのか。
- 前者であれば成長した証として喜ばしいことです。
- 後者であれば由々しき事態です。
後者の場合だったとしても、言われなくなったことを良いことに、本人は諦められて言われなくなったという自覚がない場合が多いような気がします。(。´・ω・)ん?
そうなると、その本人の成長が止まることを意味します。
言う側の問題点!
言う側と言われる側の戦いは、大抵言う側が根負けしてしまうもの。
基本的にその人がいつか覚えてくれることを前提に言い続けるのですが、これでもかっていうくらい何回言っても無理だった場合は、心が折れて言わなくなることが多いのではないでしょうか。
また言う側にも問題がある場合も多いのも事実。
「こんなことくらいわかるだろ」的な物言いで言う人も多く、わからない人のわからないレベルを知らずに進めていくものだから、いつまで経ってもわからないままから脱出できない。(・∀・)?
言う側も、自分が知っている範囲だけで言うので、相手にうまく説明できていないことも多い。
言う側が、わかりやすく噛み砕いて説明できるようになるには、言われる側より勉強しなくてはいけない問題もあります。
そこを省いてしまうと、言っても伝わらないという事象が発生するのです。
最も危険視しないといけないのは!
前者のできるようになったから言われなくなった場合です。
できるようになってくると、言う側から徐々に認められてくるのですが、その延長線上に落とし穴があることを注意しないといけないのです。
認められて言われなくなってくると、だんだん他のことでも言われなくなってきます。
そうなると仕事も自分の裁量で進めていけるようになってくるのですが、言われなくなるということは、自分で自分を客観視しないといけなくなるのです。( 。・-・。)ジー
言われている内は他の人が自分を見てくれていますが、自分で自分を客観視することの方が難易度が高いのです。( ˘•ω•˘ ;)ムズカシイ
人の悪いところはすぐに見つけられるのですが、自分の悪いところは自分で気づきにくいし、気づいたとしても認めたくないという気持ちが働くのです。
こうなると、言われていたときよりも厄介となります。
自分で自分の弱さや欠点を見つけ出して、自分で正していかなければならない。
それがいかに大変なことか。
それを思い知ることができればまだラッキーなんですが、思い知ることがなければ、落とし穴に真っ逆さまに落ちることになります。
また言われなくなったステージまで上がってしまった人は、落とし穴に落ちても言われる側に戻ることはありません。
もう自分で這い上がってくるしかないのです。
仮に落とし穴に落ちたままで良しとしている人は、世に言う老害扱いになってしまうかもしれません。
自分の非を認めず(落とし穴に落ちた状態、又は落ちていることを気付かないで)、今まで通りの立ち居振る舞い(落とし穴に落ちる前の状態)をしていると、周りはそっと離れていってしまうかもしれません。
ここでガツンと言ってくれる人が身近にいれば救われるのかもしれませんが、言ってくれる人がいないか、言われても頑なに受け付けないでいると、先は暗いかもしれません。
それほど、できるようになって言われなくなった人には危険がはらんでいるのです。
だからこそ、自分自身が自分に厳しくなる必要性が生じてくるのです。
できるようになって言われなくなった人は、言う側と言われる側の一人二役をこなさなくてはいけません。
そう考えるとできるようになって言われなくなった人の方が逆に大変かもしれません。
言ってもらえる内が花ですが、逆に言われなくなってからの方が真価を問われているのかもしれませんね。
おわりに
できるようになり、言われなくなってしまってからが一人前になるためのスタートなのかもしれません。
人から言われなくなるということは、自分が自分に言って、自分自身を育てていかないといけなくなります。
そこが「成長していく人」と「成長が止まる人」の分界点となるのでしょうね。
自分が上のステージに上がっても、ときには厳しく言ってくださる方が身近に存在することはある意味幸せなことなのかもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ブログを書くことで気持ちが整理できる反面、言語化には苦戦する今日この頃です。(*˘︶˘*).。.:*