きまぐれな紡ぎ手

日々の気づきや思いを綴っています

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調べることを放棄した代償!!

はじめに

いったい梅雨はいづこへ?(・ω・三・ω・)

と思うくらい毎日夏日が続いていますね。

車のボンネットで目玉焼きが焼けそうです。

熱中症には気をつけてくださいね。

今日は「調べることを放棄した代償」というお話です。

よかったら読んでいってくださいね。(*^_^*)

 

私はあなたの辞書ですか?

「これってどういう意味ですか?」

今日も自分で調べもせずに聞いてくる。

「うん、まずは自分で調べてみようか」

私はあなたの辞書ではないのだ。( º言º)

「ん?調べるより知っている人に聞いた方が早い?」(´・ω・`)?

確かに!

ってなんでやねんΣ\(゚Д゚;)

「あのね、自分で調べないと身につかないよ」

自分で調べて答えを知るのと、人から答えを聞くのとどう違うの?

 

調べることを放棄した代償!

自分で調べるのは時間がかかるし面倒です。

確かに人に聞いて答えを教えてもらった方が手っ取り早いんですよね。

でも、人から聞いた答えはなぜか身につかない。

で、教えてもらったことを忘れたからまた聞きにいく。

それを繰り返していると、「人を辞書代わりに使うな!」と怒られるのです。(#`皿´)

一方、自分で調べる派の人たちは、自分で調べるのが大好きなんです。

なんか調べずにはいられないって感じです。

なんで自分で調べるのかというと、調べると自分の世界が広がっていくんですよね。

調べるものについてはもちろんなんですが、調べていく過程の副産物で、調べる対象以外のものも調べていく過程で知識として身につくからなんです。

調べるっていっても、いきなり調べていく対象にピンポイントで行き着くわけではないので、色々関係しそうな書物を順に探っていくわけです。

探っていく過程で、「あっ、こんなやり方あるんだ」って調べていたものとは違うものだけど、色々発見があったりする。

その発見というが巡り巡って色んなことと繋がってになっていく。

それが調べる醍醐味でもあるんですよね。

だから調べるのがやめられない止まらない。

でも、これが面倒だと思う気持ちもわからなくもない。

一発で答えを知った方が楽かもしれません。

その場限りということならば。

まぁそれがいいと思う人はそれでもいいのかなと思います。

みんな一緒ではないですしね。

とは言え、中には考えても答えが出ない問題にも当然遭遇します。

その時は私も素直に知っている人に聞きに行きます。

と言ってもいきなりは聞きには行かず、自分なりにわからないことを調べて、その調べた結果を伝えて、「ここまで考えてみたんですけど、これがよくわからなくて。この考え方で合っていますか?」と伝えるようにするんです。

その調べた結果が見当違いでも構わないんです。

調べたことが大切なんです。

調べた結果を伝えて教えを乞うと、どこで間違えたのか、何が足りないのかが分かりやすくなるんです。

見当違いだった場合でも、調べ始めた出発点は同じだから、この最初の辺りで間違っていたのかと気づくことになる。

逆にこういう発想もあるんだと、教えてもらう人の別の発見に繋がることもある。

たとえ答えから教えてもらうことがあっても、答えから逆算することも大事です。

ちゃんと問題から答えのストーリーを繋いでいくことが大切です。

そうして初めて理解することができるのです。

そうして初めて人にストーリー仕立てで教えることができるのです。

答えだけ聞く人にはできない芸当です。

答えだけ聞く人はなぜそれがこうなるのかということを知らずに答えだけを知ってしまうので、人に説明するときにうまく説明できず、答えがこうだからこうなんだと言うわけです。

何も考えずそうしておけばいいと言ってしまうんです。

それが代々受け継いでいくと、知識レベルが低下していって年々能力が下がった人たちを生み出していくのです。

だから時間がかかったとしても、苦労して自分で調べていった方が自分のためにも、後世のためにもいいんです。

例外として、年々能力が下がっていく中で、中には自分で調べる人が出てくるのです。

その自分で調べる人はだんだん頭角を表してくるようになるのですが、ここで力関係のバランスが崩れる事象が発生する。

このバランスが崩れるとどうなるかというと、今まで調べずにいて能力が下がった人たちが追い抜いかれていくということです。

で、調べる人は自分の後輩に教えていくわけですから、世代の力関係のバランスがだんだん逆転していきます。

上の世代が徐々にお荷物世代と化していく。

若い人ほど吸収力がいいので、もう生半可な努力じゃ追いつけない。

たった調べることを放棄したばっかりに・・・。

調べることも日々の積み重ねですから、一旦放棄してしまうと二度とそのキャリアの差は埋められない

これが自分で調べる人と調べない人の差となっていくんです。

1年、2年、5年、10年と時間の経過とともに差が広がっていく。

時間の経過と伴う差の広がりは一番埋めようがないと差が広がってから思い知らされるような気がします。

 

終わりに

調べることも最初のうちは時間がかかるし、面倒なものです。

でも調べることに慣れていくと、自然と調べることが苦ではなくなり、調べる時間も短くなっていきます。

それは調べる過程の副産物の影響も大きいと思います。

時々、調べていく過程で発見のあった副産物が他のものと繋がった瞬間はすごく嬉しくなったりします。

ずっとわからなかったことが繋がった瞬間も喜びに満ち溢れてきます。

それもこれも調べてこなかったら味わえないものですしね。

調べていく大切さや面白さを感じていきたい今日この頃です。(*˘︶˘*).。.:*

 

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