なぜ「やるぞ」と決めた日に限って、邪魔が入るのか?その意味を考えてみた
「よし、今日からジョギングを始めよう。ダイエットも本気でやるぞ!」
そう決意した夜は、なぜか気持ちが晴れやかだった。
シューズを履いて、玄関のドアを開けた瞬間、体の奥からエネルギーが湧いてくるような感覚。
よし、このまま走りきって、理想の体を手に入れるんだ。
・・・が、1週間も経たないうちに、まるで狙ったかのように邪魔が入る。
雨。体調不良。職場での急な残業。
そして極めつけは、「おいしそうなの売ってたから買ってきたよ」と差し出される、コンビニの濃厚チーズケーキ。
なぜ、いま?
普段そんな気遣いはないくせに、なぜダイエットを始めたときに限って、ピンポイントで甘い誘惑がやってくるのか。
そんな日々が続くと、心の中に疑問が湧いてくる。
「これって試されてるのか?」
上から誰かが見ていて、「よし、こいつ本気になったな。じゃあ試練を与えてみよう」と言っているような気さえしてくる。
そんなふうに思ったのは、たぶん一度や二度じゃない。
でも、あるときふと気づいた。
運動もしていなかったときは、たしかに体調も崩さなかった。
スイーツも出てこなかった。
でも、それって単に、何も「始めていなかった」から、何も起こらなかっただけなんじゃないかって。
何かを始めると、世界が動き出す。
変化を起こそうとすると、それに反発するように揺り戻しが起こる。
それは決して「運が悪い」とか「誰かの嫌がらせ」ではなくて、
「変わる」ということに、自然と起きる抵抗なのかもしれない。
完璧にこなしたいと思っていた。
ちゃんと計画通りに進めたいと思っていた。
でも、人生ってそんなに都合よくいかない。
それを分かっているつもりでも、「今度こそは」と思って始めるから、ちょっとつまづくだけで気持ちが折れてしまう。
完璧主義は、時に一歩を止める毒にもなる。
だからこそ、考え方を変えてみようと思った。
「今日は走れなかった。でも、昨日より食べすぎなかった。」
「スイーツは食べてしまった。でも、気持ちはまだ折れていない。」
「前よりちょっとだけ、ちゃんと自分の体と向き合えている。」
それでいい。
始めたときの自分より、ほんの少しでも前に進めていたら、それはもう「成功」なんだ。
自転車に乗るのだって、最初は何度も転んで覚えた。
恋愛だって、うまくいかなかった経験があるから、大切にする気持ちが育った。
なぜダイエットだけ、最初から完璧を求めるのか。
スイーツを前に立ち尽くした夜も、ジョギングできなかった朝も、
「続けよう」と思っているなら、それは立派な「前進」だ。
5年後、10年後に、「あのとき、あきらめなくてよかった」と思えるように。
今日は、昨日より1歩でも先に進めればいい。
それが、決意を守るということ。
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