きまぐれな紡ぎ手

日々の気づきや思いを綴っています

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「何度片付けても、また元通り」

終わらないイタチごっこと、私が「それでも」片付け続ける理由

朝、出かける前にちゃんと閉めた。

確かに閉めたはずの収納扉が、また開いている。

 

「えっ?また?」

誰かが開けてそのままにしたのだろう。

でも、そこにいた家族は当然のような顔をしている。

誰も悪びれた様子もない。

 

ついさっき洗ったばかりのコップも、気づけば飲みかけの状態でテーブルに放置されている。

 

「片付けたんじゃなかったっけ?」

そう思って手を止めると、胸の奥からじわじわと怒りがこみ上げてくる。

 

「何で私ばっかり」

 

洗濯物をたたんでも、いつのまにかソファには脱ぎ捨てられた服。

掃除機をかけた床には、早くも髪の毛や食べかす。

 

まるで、やってもやっても終わらないイタチごっこ

「ああ、もう、どこまでやればいいんだ!」

思わず声が出そうになるのを、ぐっと堪える。

 

そんなこと、一日に何度あるかわからない。

 

もちろん、生活していれば多少散らかるのは当たり前。

それはわかっている。

みんながそれぞれの時間を過ごし、家という空間を使っている。

きれいなままでいるなんて無理だって、頭ではちゃんと理解している。

 

でも・・・

「片付けてる人間の気持ち、少しは考えてくれよ!」

そんな言葉が、心の中でぐるぐると渦を巻く。

 

言ったって変わらないのもわかってる。

「一人暮らしになったら大変だよ」

「自分の出したものは自分で戻してよ」

そんな言葉も、右から左へと流されていく。

 

ある日ふと思った。

 

この家で、私はいったい何をしているんだろう?

どうして私は、こんなに怒りながら片付けているんだろう?

 

そのとき、はっきりと気づいた。

「私は、人を自分の都合のいいように変えようとしていたんだ」と。

 

でもそれって、無理なんですよね。

どんなに言っても、どんなに怒っても、人は自分の思い通りには動かない。

 

だから私は、決めたんです。

「もうやめよう」って。

 

他人に期待してイライラするのは、自分にとって一番損な行為だった。

 

片付けるのは、「やらなきゃいけないから」じゃない。

「やらされてるから」でもない。

そうじゃなくて、「自分が、自分のためにやる」と決めたんです。

 

私が片付けたいのは、

私が気持ちよく過ごせる空間をつくりたいから。

それをつくるのは、私自身にしかできない。

 

人に期待しなければ、イライラすることも減る。

 

「自分のために整える」って、なんだか心が自由になる。

そんな風に思えるようになったのは、ここ最近のこと。

 

そして不思議なことに、片付けているうちに頭の中も一緒に整理されていく。

 

「あ、これって必要ないかも」

「こうしたほうが使いやすいかも」

「これはあとで使うからここに置いておこう」

 

そうやってモノを動かしていくうちに、考えごとの優先順位まで見えてくることがある。

 

つまり、片付けって、ただの家事じゃない。

思考のトレーニングでもある。

 

そして、この片付けの感覚って、

実は生活のあちこちで活きてくる。

 

仕事での資料整理。

人付き合いの優先度。

家計管理。

時間の使い方。

 

「何を残して、何を手放すか」

この感覚は、まさに人生の選択そのものだなと思う。

 

それに、片付けるって、続けているうちに「癖」になる。

 

自然と「あとで戻そう」じゃなく、「今、戻そう」に変わってくる。

整理された空間に慣れると、散らかった状態に違和感が出てくる。

 

そして気がつけば、片付けるスピードも上がってる。

何がどこにあるか知っているから、迷わない。

探さない。

効率がいい。

動きやすい。

 

もちろん今も、我が家はしょっちゅう散らかる。

一晩あれば、あっという間に。

 

でも、もうイライラしない。

「はいはい、またやるね」って、ちょっとだけ笑えるようになった。

 

そして今日も私は、心の中でこうつぶやく。

 

「さて、今日はどう片付けてやろうかな?」

 

ちょっとした戦闘モードのようで、だけどどこか前向きで、「私の暮らし」を取り戻すための時間。

 

片付けは、私の心のメンテナンス。

これからも、自分のために続けていくんだと思う。

 

 

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