「あの人は○○できるのに」って、何回言われれば済むの?
人と比べても、何も変わらない。
そんなことはわかっている。
でも、なぜだろう。
人って、すぐに誰かと比べてしまう。
育った環境も違えば、考え方も、目指している場所も違う。
それなのに、目の前の誰かと比べられて、「あの人はすごい」「あなたもやってみたら?」なんて言われる。
そのたびに、私は少しずつ、自信をなくしていった。
自分より「良い面」だけを、都合よく取り出して比べられて、何かいいことでもあるのだろうか。
「あの人は資格も取って、キャリアも順調みたい」
「あの子は、もう○○までできてるらしいよ」
そんな話を聞くと、私はいつも苦しくなる。
じゃあ、私は?
それを聞かされた私は、どうしたらいいの?
「見習ってやってみたらどう?」
「もっと頑張ったら?」
そう言われるたびに、「あなたはまだできていないよね」と言われている気がする。
もちろん、自分より優れているところを持った人なんて、たくさんいる。
でも、その人の良いところ「だけ」を切り取って比べられるのは、もううんざりだ。
じゃあ、私のほうが少し得意なことがあったとして、それを比べ返したらどうなるんだろう?
想像するだけで、きっと嫌な空気になるのが目に見えている。
最悪、逆ギレされるのがオチなのかもしれない。
それってフェアじゃないよね。
比べる人は、常に「上から目線」で、自分が優位に立てるネタしか使ってこない。
でも本当は、私にだってあるはずなんだ。
その人より少しだけ得意なこと。
その人にはない視点や価値観。
けれど、そういう部分は一切見ずに、できていないところばかりを比べられる。
そんなことが繰り返されると、自分でもだんだん自分に対して「ダメなんじゃないか」と思い始める。
そして、本当に「できない人」になっていく。
それって、大人の私だけじゃない。
子どもにも、同じことが言える。
よく聞く話がある。
「〇〇さんの子は、あんな習い事もしてるのよ」
「〇〇ちゃんは、もう英語もやってるって」
「すごいよね、見習ったら?」
そんなふうに、我が子と他人の子を簡単に比べてしまう。
でも、それを言われた子どもは、どう感じているんだろう?
「もっと頑張ろう!」とやる気になる?
たぶん、そんな単純な話じゃない。
むしろ、「どうせ自分なんてダメなんだ」って、心を閉ざしてしまう子の方が多いんじゃないかと思う。
もし本当に、その子のようになってほしいのなら。
ただ「すごい」と結果だけを言うのではなく、その子がどうやって「すごくなったのか」というプロセスこそ、見せるべきなんじゃないか。
どんな努力をして、どんな時間を過ごして、どう乗り越えてきたのか。
その物語を、ちゃんと伝えることができたなら、きっと刺激や希望になることもあるだろう。
でも、ただ「すごい」と言って終わるだけなら、「だから?なに?」で終わってしまう。
そして、気づいた。
安易に誰かと比べる言葉は、誰かの心に、小さな綻びを生むかもしれない。
その綻びが積み重なっていけば、ある日突然、自信ごと全部崩れてしまうこともある。
だから、私は言いたい。
「安易に人と比べることなかれ」
誰かの良さを認めることと、誰かと比べて誰かを否定することは、まったく別物だ。
私は私で、日々を懸命に生きている。
たとえ目立たなくても、誰かのようにすごくなくても、ちゃんと自分のリズムで生きている。
だから、もう他人と比べるのはやめようと思う。
誰かの評価ではなく、自分自身の目で、自分の歩みを見ていきたい。
そうやって、自分の人生を少しずつ、取り戻していきたい。
最後に
「比べない」という選択肢を、心の中にそっと置いておこう。
その小さな意識が、あなたの心を守ってくれるかもしれないから。
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