きまぐれな紡ぎ手

日々の気づきや思いを綴っています

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「人には求めるくせに、自分が求められると嫌がる人」

自分勝手?それとも、人間らしさの裏返し?

■ はじめに

「なんでわかってくれないの?」
「少しくらい察してよ!」

……はい、それ、めちゃくちゃ言いたくなる瞬間ありますよね。
でも逆に、自分が誰かに「わかってほしい」「察してよ」って言われたとき、
心の中でこう思ったこと、ありません?

「いや、エスパーちゃうし」

そう、人には求めるくせに、自分が求められると途端にめんどくさくなる。
——これ、人間関係あるある中のあるあるです。

 

■ 結論

人に求めるのは簡単だけど、求められるのは難しい。
そこに潜んでいるのは、「自由でいたい」気持ちと「責任を背負いたくない」本音なんです。

 

■ 理由

まず、人に求めるのって“気持ちいい”んですよ。
だって、自分が主導権を握ってるから。
「もうちょっと気にかけて」「こうしてほしい」
言うだけで、相手が動いてくれたら自分の世界が快適になる。

でも、いざ自分が求められる側になると、
「え、今?」「それ、私じゃダメじゃない?」って途端に重く感じる。

求める=自由
求められる=責任

このバランス、ほんと人間の心理をよく表してます。

 

■ 例:職場編

たとえば職場で、「もっとチームで協力してやろうよ!」って言ってた人が、
いざ「これ手伝ってもらえますか?」と頼まれると、
「今ちょっと忙しいんで…」って速攻逃げる。

おい、さっきと言ってることちゃうやん!
でも、自分も心当たりありません?
「みんなでもっと協力しよう」とか言いながら、
「自分は巻き込まれたくない」って思ってたりする。

人って、理想を語るときは広いけど、実際動くときは自分の半径2メートル以内が限界なんですよ。

 

■ 例:恋愛編

恋愛でもよくあります。
「もっと連絡してよ!」
「もっと会いたい!」

言うときは勢いあるのに、
いざ相手が毎日LINE送ってきたら「うわ、ちょっと重い…」って思う。

いや、どっちやねん。
自分が“求めた愛情”が実際に届くと、
「期待以上の圧」に耐えられなくなる。
——人って、自分の都合に合わせた“ちょうどいい距離”を求めてるんですよね。

 

■ 心の裏側

じゃあ、なんでこうなるのか。
答えはシンプルで、「余裕がない」からです。

余裕があるとき、人に求められるのはむしろ嬉しい。
「頼ってくれてありがとう」って思える。
でも、自分がいっぱいいっぱいのときに頼まれると、
「なんで私ばっかり?」ってイラッとする。

つまり、求められるのが嫌な人=悪い人じゃなくて、余裕がない人なんです。
心のバッテリーが減ってるとき、人は“与えるモード”に切り替えられません。

 

■ 自分にツッコミを入れてみよう

たとえば誰かに「ちゃんと聞いてよ」って言いたくなったとき、
心の中でこうツッコミを入れてみましょう。

「いや、こっちが聞かれてもちゃんと答えてないやん」

「気づいてほしい」と思うなら、
自分も「気づこう」としてる?
「理解してほしい」と思うなら、
相手の話、最後まで聞いてる?

求めるのは一方通行。
でも、求められる関係は“双方向”
だから、そこに人間らしさが生まれるんです。

 

■ 再結論

求めるだけでは、関係は片思い。
求められることを嫌がらず、
「できる範囲で応える」姿勢を持てたとき、
人との距離はぐっと近くなる。

大事なのは“完璧に応えること”じゃなくて、
“逃げずに向き合うこと”

ちょっとだけ面倒でも、
「今はこれくらいならできるよ」と伝えるだけで、
相手は「受け止めてもらえた」と感じる。

求める⇄求められる、その往復運動こそが、
人間関係の“潤滑油”なんです。

 

■ まとめ

人には求める。
求められたら嫌がる。
でも、それを笑って自覚できる人は、もう一歩前に進んでる。

「お互い様」を合言葉に、
今日も“ツッコミ半分、優しさ半分”でいきましょう。

 

 

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