――その優しさ、無限残業の始まりです。
■ 結論:「気づいた人がやればいい」は、やさしさではなく構造的な罠
「気づいた人がやればいい」
うん、言葉としては美しい。
なんだか“主体的”“思いやりがある”感じすらします。
でもね、それをそのまま受け入れてしまうと――
気づく力がある人ほど、どんどん疲弊していく世界が待ってるんですよ。
一見、善意の言葉。
でも実態は、「気づけない人を守る言い訳」であり、「気づく人に負担を押し付ける仕組み」でもあるんです。
■ 理由①:「気づく人が損をする構造」になる
気づいた人が動く。
周囲は「ありがとう」って言う。
で、次回もまた、気づいた人が動く。
結果、どうなるか。
そう――気づける人だけが、ずっと動き続ける。
しかもこの構造、厄介なことに本人の中でも“自分がやるのが当たり前”になってしまうんですよ。
「他の人がやらないなら、自分がやらなきゃ」って。
気づけることが強みだったはずなのに、それが負担の引き受け能力として使われていく。
いやいや、それはもはや才能の浪費。
「気づける人」=「便利屋」じゃないんです。
■ 理由②:「気づかないふり文化」が育つ
もっと怖いのは、周りの変化です。
気づかない人たちが、「あ、この人がやってくれるんだ」と学習する。
そして次第に、
-
“気づかないふり”をする人
-
“気づいても知らないふり”をする人
が増えていく。
やばくないですか?
気づく力がある人が責任を背負い、気づかない人ほど得をする。
そんな世界、どう考えても不健全。
本来、チームとか組織って、気づきを共有して改善する場のはずですよね?
でもこれでは、「黙っておいたほうが得」になる。
もう、社会の縮図です。
“気づいた者が損をする”文化。
この言葉を無自覚に使う人が多いほど、現場は静かに壊れていく。
■ 理由③:「やるべき人」が責任を果たさなくなる
「気づいた人がやればいい」が浸透すると、
“やるべき人”がやらなくなるという副作用が起きます。
本来、担当者・上司・リーダーなど、
“責任をもってやるべき人”がいる。
でも、その人たちが「誰かがやってくれるでしょ」と思い始めたら――
それはもう崩壊の始まりです。
リーダーがリーダーである意味がなくなる。
上司が上司である意味がなくなる。
そして、気づく人が「誰もやらないなら自分が…」と背負う。
結果的に、責任の線引きがぐちゃぐちゃになる。
■ ツッコミ:なぜ“気づいた者”が救世主扱いなんだ?
そもそも、「気づいた者がやればいい」って、どこから出た発想なんでしょう。
気づく=優秀、だからやる、っていう風潮?
いやいや、それおかしくない?
例えばですよ――
会社のゴミ箱がいっぱいになってる。
気づいたAさんが捨てる。
みんな「ありがとう!」
でも次の日も、またAさん。
三日目もAさん。
そのうちAさん、内心こう思い始める。
「え、なんで私だけ?」
これ、仕事にも家庭にもあります。
「気づいた人がやる」って便利に見えて、
“気づかない側の怠慢”をカバーしてるだけなんですよね。
つまり、善意の顔をした構造的ブラック。
■ じゃあどうすればいいのか?
ここで大事なのは、「気づいた人が悪い」と言いたいわけじゃありません。
むしろ、気づける人は尊い。
でも、気づく力を“自分だけで完結させない”ことが大事なんです。
①「共有する」
まずは「これ、気づいたんだけど…」と周囲に共有する。
やる前に声をかける。
それだけで、責任がチームに戻ります。
②「役割を再確認する」
「これは誰の仕事なのか」を明確にする。
曖昧なまま進むから、善意が搾取される。
③「仕組みで解決する」
仕組み化が最強。
“気づき力”を個人頼みにせず、
チェックリストやフローを作って、気づきに依存しない構造をつくる。
“優しさ”ではなく“仕組み”で支える。
それが、長く続くチームの条件です。
■ 本当の優しさは、“やるべき人がやる”こと
「気づいた人がやればいい」よりも大事なのは、
“やるべき人が、やるべきことをやる”こと。
責任を明確にするのは冷たいことじゃない。
むしろ、誰か一人が潰れないためのやさしさです。
やるべき人がやり、
気づいた人は“助ける側”として動く。
この順番が逆転したとき、人間関係も職場もおかしくなる。
■ 結局のところ、「気づける人」は貴重な存在
気づけるってことは、
視野が広く、他人のことを考えられている証拠。
だからこそ、無理して全部背負わなくていい。
あなたの気づきは、「改善のきっかけ」に留めていいんです。
「自分が全部やらなきゃ」ではなく、
「自分が気づいたことを共有しよう」で十分。
だって、“気づける力”は、みんなが持てばチームが強くなる。
一人が抱えたら、弱くなる。
■ 結論ふたたび
「気づいた人がやればいい」は、
聞こえはいいけど、続けるほど歪む言葉です。
やるべき人がやる。
気づいた人は、伝える・共有する・サポートする。
その関係性ができたとき、
はじめて「チームで動く」という言葉が意味を持ちます。
■ 最後に一言
気づいた人がやればいい?
いや、それだと「気づく人が損する社会」ですよ。
ほんとの優しさは、
「やるべき人がちゃんとやる」こと。
そして、気づいた人は――
“救世主”ではなく“バランスを正す人”でいい。
それが、みんなが無理せず笑える関係の第一歩です。
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