きまぐれな紡ぎ手

日々の気づきや思いを綴っています

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苦手な人に、気持ちを持っていかれたままでいたくない

苦手な人のことは、会っている時間より、会ったあとに引きずる時間の方がつらいことがあります。

言い方がきつかった。
態度が刺々しかった。
なんとなく見下された気がした。

その場では流したつもりでも、あとからじわじわ効いてくる。
帰り道や家に着いたあとに思い出して、また気持ちが重くなる。
そんなことは、たぶん少なくありません。

しかも厄介なのは、苦手な相手ほど、頭の中で存在感が大きくなりやすいことです。
「もう気にしたくない」と思っているのに、気づけばまた考えている。
嫌なのに、なぜか引っ張られてしまう。

そうなると、相手が嫌だという気持ちだけでなく、そんなふうに振り回されてしまう自分まで嫌になることがあります。

でも、苦手な人に引っかかること自体は、おかしなことではありません。
むしろ、それだけ自分の中に大事にしている感覚や価値観がある、ということでもあります。

そのうえで、もし少しだけ見方を変えられるなら。
苦手な人に気持ちを削られるだけで終わるのではなく、そこから自分に役立つものだけを拾うことも、できるのかもしれません。

今日は、苦手な人を無理に好きにならずに、自分にプラスになる部分だけを取り入れる考え方について整理してみます。

この記事でわかることは、次の3つです。
苦手な人を引きずってしまう理由、全部を肯定しなくていいという整理、そして少し楽になる見方の変え方です。

苦手な人を見るたびに、気持ちが削られてしまう理由

苦手な相手は、会っている時間より「引きずる時間」の方がつらい

苦手な人がしんどいのは、その場だけでは終わらないからです。

会話の最中に嫌な思いをしたとしても、本当に消耗するのは、そのあとかもしれません。
頭の中で何度も再生してしまう。
別の言い方ができなかったか考えてしまう。
相手の顔を思い出すだけで、また少し気分が落ちる。

こういうしんどさは、外からは見えにくいです。
でも、自分の中では確実にエネルギーを使っています。

だから、「たかが一言で気にしすぎ」と片づけられるものでもありません。
自分の中で引っかかったものがあるから、何度も思い出してしまうのです。

「嫌だ」で思考が止まるのは自然な反応

苦手な相手に対して、「あの人は無理」「本当に嫌だ」と思うのは自然なことです。
嫌なものを嫌だと感じるのは、反応としてまっとうです。

ただ、その「嫌だ」が強くなると、相手の全部が同じ色に見えてきます。
話し方も嫌。
態度も嫌。
存在そのものが嫌。

そうなると、本当は別々に見られるはずのものまで、全部まとめて切り捨てたくなります。

でもそれは、未熟だからではありません。
それだけ、心が防御モードに入っているだけです。

まずは、そこで自分を責めなくていいと思います。
嫌な相手を嫌だと思うこと自体に、無理やりきれいな意味をつけなくてもいい。
そのうえで、少し余裕が出てきたら、見方をもう一段だけ細かくしてみればいいのだと思います。

嫌だという気持ちが強くなると、嫌な部分ばかりが目に入りやすくなることがあります。嫌なところばかり見えてしまう心理については、こちらの記事でも整理しています。

やわらかな光が差し込む室内で、少し開いた扉のそばに立つ人物の足元と青みがかったスカートを描いた横長のイラスト

相手を無理に受け入れなくても、
見方を少し変える余地はあるのかもしれません。

苦手な人から学ぶなんて、抵抗があって当たり前

学ぶことは、相手を肯定することではない

ここが、いちばん引っかかりやすいところかもしれません。

苦手な人の中に良い部分があると認めることに、抵抗がある。
嫌な人から学ぶなんて、なんだか負けた気がする。
そんなふうに感じることは、全然おかしくありません。

でも、学ぶことと、相手を肯定することは別です。

その人の言い方が嫌なら、それは嫌でいい。
態度が苦手なら、苦手なままでいい。
無理に「いい人だ」と思わなくていいし、全部を受け入れなくていい。

ただ、その人の中に
「この段取りはうまいな」
「この線引きは参考になるな」
と思う部分があったとしたら、そこだけを取り出して使ってもいい。

それは相手のためではなく、自分のためです。

相手を見直すことではなく、
自分に役立つものを拾うこと。
この切り分けができると、少し楽になります。

何でも肯定することに違和感があるなら、その感覚にもちゃんと理由があります。何でも肯定する人が信用できないのはなぜ?違和感の理由を整理するも、あわせて読むとつながりやすいです。

相手そのものではなく、行動の一部だけを見る

苦手な人を丸ごと見ると、どうしても感情が先に立ちます。
でも、「この人」という単位ではなく、「この人の行動の一部」として見ると、少し見え方が変わります。

たとえば、

  • 話し方は苦手だけれど、要点をまとめるのは上手い
  • 人としては合わないけれど、断るときの線引きは上手い
  • 感じはよくないけれど、準備だけは丁寧

こういうことは、案外あります。

人全体を見ると受け入れにくくても、行動を部品として見ると、「ここだけは使えるかもしれない」と考えやすくなります。

全部を見る必要はありません。
ひとつだけで十分です。

苦手な人の中にも、自分に役立つ部分が混ざっている

言い方は苦手でも、段取りは参考になることがある

たとえば職場に、言い方がきつい人がいたとします。
関わるたびに少し身構えるし、できれば距離を置きたい。
でも、その人は仕事の順番を組むのがうまく、いつも抜け漏れが少ない。

こういうとき、相手の言い方まで真似する必要はありません。
でも、仕事の順番の組み方は参考にできるかもしれない。

あるいは、少し圧のある人がいたとしても、
その人が「先に確認しておくべきこと」を押さえるのが上手いなら、そこは学べるかもしれません。

ここで大事なのは、
相手の嫌な部分と、使える部分を混ぜないことです。

混ぜてしまうと、「この人から学ぶなんて無理」となります。
でも分けて見ると、拾えるものが出てくることがあります。

距離の取り方、断り方、整理の仕方は学べることがある

苦手な人の中には、人当たりはよくなくても、自分を守ることが上手い人もいます。

  • 無理な頼みを断る
  • 必要以上に抱え込まない
  • 話を長引かせない
  • 境界線をはっきりさせる

こうしたことは、優しい人ほど苦手なことがあります。

だからこそ、「感じのよさ」は真似しなくても、
自分を守る技術として見れば、参考になることがあります。

相手を好きになる必要はありません。
でも、自分が少し楽に生きるために使えるなら、そこだけ取り入れる価値はあります。

やわらかな光が入る室内で、手前に近い距離で置かれた二脚の椅子と、奥に間隔を空けて置かれた二脚の椅子、左端に人物の足元が描かれた横長のイラスト

少し距離を取るだけで、見え方が変わることがあります。

取り入れることと、取り入れないことを分けて考える

取り入れてよさそうなもの

苦手な人から取り入れてよいのは、
再現しやすくて、自分や周囲にとってプラスになる行動です。

たとえば、

  • 段取りの良さ
  • 先回りして準備する習慣
  • 要点を整理して話すこと
  • 無理なことを無理と言う線引き
  • だらだら引き受けない判断の速さ

このあたりは、人格ではなく行動として切り出しやすいです。
そのまま真似すると少し生活が楽になるなら、取り入れてみる価値があります。

真似しない方がいいもの

逆に、真似しなくていいものもあります。

  • 威圧的な言い方
  • 人を見下す態度
  • 嫌味や皮肉
  • 相手を焦らせて動かすやり方
  • 自分の不機嫌を周囲にまき散らすこと

こうしたものは、たとえ効果的に見えても、長い目で見ると自分にも周囲にも負担を残しやすいです。

つまり、
役に立ちそうに見えるものを全部拾えばいいわけではないということです。

取り入れるかどうか迷ったら、

  • それは行動として切り出せるか
  • 真似しても自分がしんどくならないか
  • 周りを傷つけずに使えるか

このあたりで見てみると、少し判断しやすくなります。

苦手な人に振り回されないための、小さな見方の変え方

「この人は嫌だ」のあとに、「でも何が上手い?」を一度だけ考える

次に苦手な人のことを思い出したとき、無理に前向きになる必要はありません。
まずは「嫌だ」と思っていい。
そこは飛ばさなくていいです。

そのあとで、余裕があれば一度だけ、こう考えてみます。

「でも、この人は何が上手いんだろう」

ここで答えが出なくても大丈夫です。
すぐに見つからないこともあります。
でも、この問いをひとつ持つだけで、「嫌だ」で止まっていた視点が、少しだけ動きます。

それは相手を美化することではありません。
自分の視野を、相手に奪われっぱなしにしないための工夫です。

相手に気持ちを持っていかれやすいときは、自分の見方の置き場所を戻すことも大切です。他人の世界に入りすぎているときの心の守り方については、こちらで少し詳しく書いています。

全部を拾わなくていい。ひとつで十分

苦手な人の中に、無理やり長所を探そうとすると疲れます。
それでは、また自分に負担が増えてしまいます。

だから、ひとつで十分です。

「断るのは上手い」
「準備は丁寧」
「切り替えが早い」

そのくらいでいい。
それ以上は拾わなくても大丈夫です。

むしろ、ひとつだけだからこそ使いやすい。
全部を見直そうとしない方が、自分の気持ちも守れます。

苦手な人から学ぶというより、
苦手な人の中にある“使える部品”をひとつだけ借りる
そのくらいの感覚の方が、ちょうどいいのかもしれません。

まとめ

苦手な人に出会うと、気持ちが持っていかれることがあります。
嫌なものを嫌だと思うのは自然ですし、全部を受け入れる必要もありません。

ただ、そこで終わらずに、
自分に役立つ部分だけを取り入れることができたら、少し見え方が変わります。

学ぶことは、肯定することではありません。
好きになることでもありません。
ただ、自分のために使えるものを選ぶだけです。

相手に振り回されて終わるのではなく、
相手との出会いから、自分の助けになるものを少しだけ拾う。
そうできると、苦手な人の存在が、ただ気持ちを削るものだけではなくなっていきます。

全部じゃなくていいんです。
ひとつでいい。

次に苦手な人を思い出したときは、
「嫌だ」のあとに、
「でも、何が上手いんだろう」
と一度だけ考えてみてください。

それだけでも、自分の気持ちの置き場所が少し変わることがあります。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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また次の記事も、少しでも気持ちや考えを整理しやすくなるように書いていきます。