きまぐれな紡ぎ手

日々の気づきや思いを綴っています

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やめたいのではなく、思い通りにならない現実に疲れているだけかもしれない

やめたいのではなく、思い通りにならない現実に疲れているだけかもしれない

ブログを続けて、1年は過ぎた。

ここまで続けてこられたことは、自分でも少し意外だった。
最初から強い覚悟があったわけではない。
いつも迷わず書けていたわけでもない。

この1年の間に、何度か「もう、やめてもいいんじゃないか」という考えが、頭の片隅をよぎったことがある。

大きな失敗をしたわけではない。
誰かに強く否定されたわけでもない。
急に書くことが嫌いになったわけでもない。

ただ、続けていく中で、少しずつ見えてくるものがあった。

思っていたより読まれない日がある。
時間をかけて書いた記事ほど、反応が薄いこともある。
自分では良いと思った言葉が、思ったほど届かないこともある。
逆に、力を抜いて書いたものが読まれることもある。

世の中は、自分の思い通りになることの方が少ない。

それは頭ではわかっている。
わかっているけれど、心がいつも納得できるわけではない。

青空と花に囲まれた明るい風景の中で、女性がノートとパソコンの前に座り、理想通りにいかない現実の中でも少しずつ続けようとする気持ちを表したイラスト。

思い通りにいかない日も、やめたい日もある。
それでも、自分を責めずに、今日できる分だけ続けてみる。

ブログを始めた頃、どこかで思い描いていた理想があった。

続けていれば、少しずつ読まれるようになるかもしれない。
文章も、もっと自然に書けるようになるかもしれない。
自分の考えが、誰かの心に届くかもしれない。
1年後には、今とは違う景色が見えているかもしれない。

もちろん、変わったこともある。

書くことで、自分の気持ちを整理できるようになった。
何気ない出来事の中から、言葉の種を探すようになった。
誰かの反応に励まされた日もあった。
続けてきたからこそ、自分の中に残ったものもある。

それでも現実は、理想通りには進まない。

「これだけ続けてきたのに」
「もう少し結果が出てもいいんじゃないか」
「思っていた場所には、まだ全然届いていない」
「自分は何をしているのだろう」

そんな気持ちが、ふとした瞬間に顔を出す。

そして、その理想と現実の乖離が、やめたくなる気持ちを連れてくる。

やめたいのではなく、思い通りにならない現実に疲れている理由

やめたくなる気持ちは、単に飽きたから出てくるわけではないのだと思う。

もちろん、面倒になる日もある。
書く時間が取れない日もある。
仕事が忙しくなったり、勉強することが増えたり、予期せぬことが起こったりして、いつものルーティンが崩れることもある。

でも、それだけではない。

本当は、やめたいというより、思い描いていた理想に届かない現実を見ることに疲れているのかもしれない。

頑張れば、もう少し報われると思っていた。
続ければ、もう少し変わると思っていた。
積み上げれば、もう少し手応えが見えると思っていた。

けれど、現実はそんなに単純ではない。

努力した分だけ、すぐに結果が返ってくるわけではない。
続けた分だけ、目に見える形で伸びるわけでもない。
良い記事を書いたつもりでも、読まれないことはある。
自分なりに考えて出した答えが、誰にも気づかれないこともある。

そのたびに、心のどこかが少しずつ疲れていく。

「自分のやり方が間違っているのだろうか」
「このまま続けても意味があるのだろうか」
「もっと向いている人がいるのではないか」
「自分はここまでなのではないか」

そんな言葉が、自分の中に浮かんでくる。

でも、それは弱さだけではないと思う。

理想を持っていたからこそ、現実との差に傷つく。
期待していたからこそ、届かないことに落ち込む。
大切にしてきたからこそ、結果が見えない時間が苦しくなる。

何も望んでいなければ、きっとここまで疲れない。

だから、やめたくなる気持ちの奥には、まだ諦めきれない自分がいるのかもしれない。

周りが止まっていくと、自分も止まっていい気がしてくる理由

読者になってくださった方たちの中にも、気づけば更新が途絶えている人がいる。

半数以上は、もう新しい記事を書いていないのかもしれない。

それを見ると、やめることは特別なことではないように思える。

続けられないことが悪いわけではない。
生活が変われば、優先順位も変わる。
書く理由が変わることもある。
別の場所で頑張っている人もいるだろうし、静かに離れる選択をした人にも、それぞれの事情がある。

だから、誰かが更新を止めたことを責める気持ちはない。

ただ、それを見たときに、自分の中にも声が生まれる。

「自分も同じでいいんじゃないか」
「みんなが止まっているなら、自分も止まっていいんじゃないか」
「続けられないことの方が、むしろ自然なのかもしれない」

そう思うと、やめる理由は急に見つけやすくなる。

忙しいから。
他にやることがあるから。
時間が足りないから。
思ったより結果が出ないから。
周りも更新を止めているから。
今やめても、誰かに迷惑をかけるわけではないから。

どれも間違っていない。

むしろ、ちゃんと正しい理由に見える。

でも、正しい理由があるからといって、それが本当の答えとは限らない。

やめる理由は、いつも正論の顔をして現れる。
その正論に包まれていると、自分の本音が見えにくくなる。

本当は、ブログをやめたいのではないのかもしれない。
ただ、理想通りに進まない現実に疲れているだけかもしれない。

本当は、書くことが嫌になったのではないのかもしれない。
ただ、思っていた成果との距離に、少し傷ついているだけかもしれない。

本当は、続ける意味がなくなったのではないのかもしれない。
ただ、意味が見えるまでの時間が、思っていたより長いだけなのかもしれない。

やめる理由がいくつも浮かんでくるときは、それが本音なのか、自分を納得させるための理由なのか、少し見分けにくくなります。
そんなときは、やめる理由をきれいに作りすぎていないか考えることも、自分の本音に戻るきっかけになるのかもしれません。

一度やめると、戻れなくなりそうな自分が怖い理由

それでも、やめること自体が悪いわけではない。

本当に苦しいなら、距離を置いてもいい。
心や生活を壊してまで、続ける必要はない。
休むことも、離れることも、必要な選択になることはある。

でも、自分が怖いのは、やめることそのものではない。

一度やめたあとの自分が怖い。

ブログを書かない生活に戻れば、最初はきっと楽になる。
今日は書かなくていい。
何を書こうか考えなくていい。
更新のことを気にしなくていい。
反応を見て、一喜一憂しなくてもいい。

その余白は、きっと心地よい。

今まで記事を書くために使っていた時間が空く。
考え続けていた頭が少し静かになる。
「書かなきゃ」という気持ちから解放される。

たぶん、それはそれで楽なのだと思う。楽は強い。けっこう強い。

けれど、その楽さに慣れてしまったらどうなるのだろう。

書かない日々が当たり前になる。
ブログのない生活が自然になる。
更新しないことに違和感がなくなる。

そうなったとき、もう一度戻ろうと思えるのだろうか。

せっかくここまで続けてこられたのに。
悩みながらも、迷いながらも、書き続けてきたのに。
やめたあとの環境に慣れてしまったら、もう戻れなくなる気がする。

「書かなくても大丈夫だった」
「更新しなくても、日々は普通に流れていった」
「別に戻らなくてもいいかもしれない」

そんなふうに思う自分が、どこかで想像できてしまう。

だから怖い。

ブログをやめることが怖いのではない。
ブログをやめたあとの楽さに、自分が順応してしまうことが怖い。

そして、その怖さの中には、ここまで続けてきた自分を簡単に手放したくない気持ちも混ざっている。

理想に届いていない現実は、失敗ではない

理想と現実の差を見ると、どうしても現実の方を失敗のように感じてしまう。

思っていたほど読まれていない。
思っていたほど成長していない。
思っていたほど結果が出ていない。
思っていた場所には、まだ届いていない。

そう思うと、今の自分が足りないものだらけに見えてくる。

でも、理想に届いていない現実は、本当に失敗なのだろうか。

もしかすると、それはまだ途中にいるだけなのかもしれない。

1年続けたからといって、すべてが形になるわけではない。
1年続けたからといって、理想の場所に立てるわけでもない。
続けた時間と、見える結果は、いつも同じ速度で進むわけではない。

むしろ、結果が見える前の時間の方が長いのかもしれない。

誰にも気づかれないように見える時間。
自分だけが積み上げているように感じる時間。
変わっているのかどうか、自分でもわからない時間。

その時間をどう受け止めるかで、続ける意味は変わってくる。

理想と違う現実に立っているからといって、ここまでの歩みが消えるわけではない。

書いてきた記事は残っている。
考えてきた時間も残っている。
迷いながらも更新した日々も残っている。
言葉にすることで、少しずつ自分の見方が変わってきたことも残っている。

目に見える結果だけでは測れないものが、確かに積み上がっている。

だから、今の現実が理想に届いていないとしても、それだけで「もう意味がない」と決めなくていい。

まだ途中。
まだ育っている最中。
まだ形になりきっていないだけ。

そう考えてみてもいいのだと思う。

理想に届いていない今を失敗と決めつけそうになったときは、目に見えない積み上げにも一度目を向けてみてもいいのかもしれません。
もし結果が見えない時間に苦しくなっているなら、結果が出ない努力に意味はあるのか考えることで、ここまでの歩みを少し違う角度から見直せるかもしれません。

抗うことは、思い通りにならない現実の中で続け方を変えること

「抗う」と聞くと、強く戦うような印象がある。

歯を食いしばって、無理をして、何があっても続ける。
そんな根性論のように聞こえるかもしれない。

でも、ここで言う抗うは、そういうことではない。

抗うとは、理想通りにいかない現実を見たときに、すぐに全部を投げ出さないこと。

思ったように読まれないなら、書き方を少し変えてみる。
時間が足りないなら、短く書いてみる。
重いテーマが書けないなら、軽い気づきだけ残してみる。
まとまらないなら、タイトルだけ置いておく。
疲れているなら、下書きだけでも残しておく。

毎日書けなくてもいい。
以前と同じ熱量で向き合えなくてもいい。
完璧な記事にできなくてもいい。

ただ、完全に手を離さない。

細くてもいいから、ブログとの糸をつないでおく。
それだけでも、十分に抗っているのだと思う。

続けるというのは、いつも同じ形を守ることではない。

むしろ、続けるためには形を変える必要がある。
生活が変われば、書き方も変わる。
忙しさが増えれば、更新の仕方も変わる。
気持ちに余裕がない時期には、深く掘るよりも、戻ってこられる場所を残すことの方が大切なときもある。

続け方を変えることは、逃げではない。
続けるための修正だ。

やめるか、今まで通り続けるか。
その二択だけで考えると、苦しくなる。

でも、本当はその間に、いくつもの選択肢がある。

少し休みながら続ける。
短くして続ける。
頻度を落として続ける。
書ける日だけ書く。
書けない日は、書けない自分を責めずに、戻る場所だけ残しておく。

それも、立派な継続だと思う。

少しだけ抗ってみることと、絶対に止まってはいけないと思い込むことは、別のものです。
続けることに力が入りすぎているときは、止まることを失敗にしないために、戻ってこられる余白を残しておくことも大切です。

思い通りにならないからこそ、続けた先で見えるものがある

世の中は、自分の思い通りになることの方が少ない。

これは、少し寂しい事実でもある。
けれど、だからこそ続ける意味があるのかもしれない。

思い通りになることだけを続けていたら、きっと苦しさは少ない。
すぐに結果が出ることだけを選んでいたら、傷つくことも少ない。
理想通りに進むものだけを残していたら、迷うことも少ない。

でも、それでは見えないものもある。

思い通りにならない中で、どう向き合うか。
結果が見えない時間を、どう過ごすか。
理想と現実の差を見たときに、自分をどう扱うか。

そこに、自分の本当の続け方が出てくる。

順調なときに続けるのは、そこまで難しくない。
反応があるとき、結果が見えるとき、気持ちが乗っているときは、自然と前に進める。

でも、思ったようにいかないとき。
理想との差に疲れたとき。
やめる理由がいくつも見つかるとき。

そのときに、ほんの少しだけ抗ってみる。

それは、大きな決意ではなくていい。

今日だけ書いてみる。
一文だけ残してみる。
次の記事の種だけ置いてみる。
今の気持ちを、きれいにまとめずに書いてみる。

その小さな抵抗が、続けてきた自分を支えてくれることがある。

理想と現実の差に疲れたときの気持ちを整理しながら、女性がノートに向かい、完璧を目指さず少しずつ続ける大切さをまとめた明るい手描き風のイラスト。

理想通りにいかない日も、ここまで続けてきた自分を否定しなくていい。
完璧ではなくても、今日できる小さな抵抗が、未来の自分を支えてくれる。

やめたくなった気持ちも、記事の入口になる

やめたくなったことを、悪いことのように扱わなくてもいい。

やめたいと思った。
理想と現実の差に疲れた。
思い通りにならない現実に、少し嫌気が差した。
一度やめたら戻れなくなりそうで怖くなった。

その気持ちも、ちゃんと自分の中にある本音だ。

ならば、それを隠さなくてもいい。
無理に前向きな言葉で包まなくてもいい。
続ける人間らしく、格好よく振る舞わなくてもいい。

むしろ、その迷いこそ記事になる。

やめたいと思ったことを書く。
続けることに疲れた理由を書く。
理想と現実の差に傷ついたことを書く。
それでも、どこかで手放したくない気持ちを書く。

そうすると、やめる理由だと思っていたものが、次の記事の入口になることがある。

苦しさも、迷いも、面倒くささも、全部が「もう終わり」の合図とは限らない。
それは、続け方を変えるタイミングなのかもしれない。
今の自分の本音を、もう一度言葉にする機会なのかもしれない。

そう考えると、やめたくなる気持ちにも意味が生まれる。

理想通りではない現実の中で、今日も少しだけ抗ってみる

やめることは、いつでもできる。

今日やめることもできる。
明日やめることもできる。
更新を止めて、そのまま何も言わずに離れることもできる。

でも、続けてきたものを手放す前に、一度だけ抗ってみてもいい。

理想通りにいかないからこそ、すぐに終わりにしない。
思い通りにならないからこそ、少しだけ形を変えて続けてみる。
結果が見えにくいからこそ、ここまで積み上げてきた時間を、簡単になかったことにしない。

抗うことは、無理をすることではない。

自分が大切にしてきたものを、簡単に手放さないために、一度だけ踏みとどまってみること。
理想と現実の差に飲み込まれる前に、ほんの少しだけ足を止めてみること。
やめる理由に全部を預ける前に、自分の本音をもう一度見にいくこと。

せっかくここまで続けてこられた。

その事実は、思っている以上に大きい。

だから、やめる理由が浮かんだ日があってもいい。
理想との差に疲れる日があってもいい。
周りの人が更新を止めていくのを見て、自分も同じでいいのではないかと思う日があってもいい。

それでも、今日は少しだけ抗ってみる。

書ける分だけ書いてみる。
残せる分だけ残してみる。
つなげる分だけ、つないでみる。

理想通りではない現実の中で。
思い通りにならない日々の中で。
それでも、自分が大切にしてきた場所に、もう一度手を伸ばしてみる。

その小さな抵抗が、続けてきた自分をもう一度支えてくれるのかもしれない。

理想通りに進まない現実に疲れたとき、無理に気合いだけで続けようとすると、かえって苦しくなることがあります。

それでも「もう少し書くことと向き合いたい」と感じるなら、書くことへのハードルを少し下げてくれる本を、補助として手に取ってみるのも一つです。

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※今は読むこと自体が負担に感じる場合は、無理に増やさなくて大丈夫です。まずは今日できる分だけ、少し残すことを優先してみてください。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

この記事が、少しでも気持ちや考えを整理するきっかけになっていたら嬉しいです。

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また次の記事も、読んだあとに少し心が軽くなるような言葉を届けていきます。