効率よく立ち回ることは、悪いことではないと思います。
無駄を減らすこと。
疲れすぎないように調整すること。
できるだけ少ない力で、うまく物事を進めること。
それは、今の時代を生きていくうえで、とても大切な力です。
何でも根性で押し切ればいいわけではないし、毎日すべてに全力を出していたら、心も体も持ちません。
だから、効率重視で進むのはいい。
うまく力を抜くのもいい。
自分を守りながら歩くことも、きっと必要です。
けれど、ふと思うことがあります。
ずっと効率だけで立ち回っていると、
いざという時に、自分の本気の出し方がわからなくなるのではないか、と。

だから時々、心と体に「まだ走れるよ」と思い出させておく。
いざという時に動けないのは、気持ちが弱いからではない
「本気を出せば、まだできる」
そう思っていることがあります。
今は少し力を抜いているだけ。
本当に必要になったら、ちゃんと頑張れる。
追い込まれたら、きっと動ける。
そうやって、自分の中に余力があるような気がしている。
でも、実際にその場面が来た時、思ったより動けないことがあります。
やる気がないわけではない。
大事だとわかっている。
本気で向き合いたい気持ちもある。
それなのに、体が重い。
集中力が続かない。
一歩目が出ない。
踏ん張りたいのに、心がついてこない。
その時、つい自分を責めたくなります。
「自分は本気になれない人間なのかもしれない」
「頑張り方がわからないなんて、情けない」
「いざという時に動けないなんて、弱い」
でも、もしかするとそれは、気持ちが弱いからではないのかもしれません。
ただ、しばらく全力を出していなかっただけ。
本気の出し方を、少し忘れていただけなのかもしれません。
身体を動かしていなければ、急に走ると痛めてしまう
身体は、とてもわかりやすいです。
普段まったく走っていない人が、いきなり全力疾走をすると、足を痛めることがあります。
準備運動もなく、筋肉も慣れていないまま急に動かせば、肉離れを起こすこともある。
それは、その人に根性がないからではありません。
身体が悪いわけでもありません。
ただ、急に全力を出せる状態ではなかった。
それだけのことです。
心も、きっと少し似ています。
ずっと省エネで、ずっと無難に、ずっと傷つかない範囲で過ごしていると、心も急には走れなくなる。
本気を出そうとしても、力の入れ方がわからない。
挑戦しようとしても、踏み込み方がわからない。
大事な場面なのに、どこか他人事のようになってしまう。
それは、心が怠けているからではなく、
心にも「全力を出す感覚」が必要だからなのだと思います。
効率重視だけでは、育たない力がある
効率よく生きることは大切です。
でも、効率だけを優先していると、育ちにくい力もあります。
たとえば、最後までやり切る力。
少し苦しくても踏ん張る力。
結果がすぐに出なくても、向き合い続ける力。
格好悪くても、自分の力を出し切る感覚。
こういうものは、効率のいい場所だけでは、なかなか育ちません。
なぜなら、全力を出すことは、少し非効率だからです。
時間もかかる。
疲れる。
思ったほど成果が出ないこともある。
もっと楽な方法があったのではないかと思うこともある。
それでも、たまには非効率でも全力疾走しておいたほうがいい。
成果のためだけではありません。
自分の中にある力を、錆びつかせないためです。
「自分はここまで踏み込める」
「苦しくても、もう少しだけ粘れる」
「本気になった時の自分は、まだちゃんと動ける」
そういう感覚を、忘れないためです。
毎日全力でなくていい。でも、たまには本気を使っておく
ここで大事なのは、毎日全力で走り続ける必要はない、ということです。
毎日、限界まで頑張る。
常に自分を追い込む。
休むことを悪いことのように扱う。
それでは、いつか心が疲れてしまいます。
全力は、毎日出し続けるものではないと思います。
むしろ、普段は力を抜いていい。
休んでいい。
効率よく立ち回っていい。
ただ、ときどきでいいから、自分の力をちゃんと使っておく。
今日は少しだけ逃げずに向き合ってみる。
途中でやめたくなったところから、あと十分だけ続けてみる。
いつもなら無難に済ませるところで、もう一歩だけ丁寧にやってみる。
結果よりも、「今日は出し切った」と思える日を作ってみる。
それくらいでいいのだと思います。
全力とは、必ずしも大きな挑戦のことだけではありません。
誰にも見られていないところで、少しだけ粘ること。
面倒なことを、雑に流さずにやってみること。
自分で決めた小さなことを、最後まで終わらせること。
そういう日常の中にも、本気の練習はあります。
本気は、出したい時に急に出せるものではない
「本気を出せばできる」
この言葉は、希望にもなります。
でも、ときどき自分をごまかす言葉にもなります。
本気は、必要になった時だけ取り出せる道具ではないのかもしれません。
しばらく使っていなければ、うまく使えない。
しまい込んだままにしていれば、取り出すのに時間がかかる。
急に動かそうとしても、思っていたより重たく感じる。
だからこそ、たまには本気を使っておく。
全力でやってみる。
できるところまで走ってみる。
効率が悪くても、遠回りでも、自分の力を出し切る感覚を思い出しておく。
それは、自分を追い込むためではありません。
いざという時に、自分を置いていかないためです。
大事な場面で、心と体がちゃんとついてこられるように。
本当に踏ん張りたい時に、「どう頑張ればいいんだっけ」と迷子にならないように。

本気の感覚は、静かに休む時間の中にも残っている。
非効率な全力疾走が、自分を支えてくれることもある
効率よく進める日があっていい。
うまく立ち回る日があっていい。
疲れないように、無理しないように、自分を守る日があっていい。
でも、たまには非効率でも全力疾走しておく。
うまくいくかどうかより、
どれだけ得をするかより、
どれだけ早く終わるかより、
自分の力をちゃんと使い切る日を持っておく。
そういう経験は、すぐに結果にはならないかもしれません。
けれど、あとになって自分を支えてくれることがあります。
「あの時、自分はちゃんと走れた」
「あの時、逃げずに向き合えた」
「あの時、非効率でもやり切った」
その記憶が、次の一歩を少しだけ軽くしてくれる。
本気が出せないと感じる時、
いざという時に動けないと感じる時、
それは自分が弱いからではなく、ただ少し長く全力から離れていただけかもしれません。
だから、また少しずつ思い出せばいい。
身体を慣らすように。
心をほぐすように。
いきなり限界まで走るのではなく、少しずつ、本気の感覚を取り戻していく。
効率よく生きることも大切にしながら、
たまには非効率でも、全力で走ってみる。
それはきっと、未来の自分が本当に動きたい時に、
ちゃんと動けるようにしておくための、静かな準備なのだと思います。
本気を思い出したいときに、近くに置いておきたい記事
本気を出すことは、無理に自分を追い込むことではないのだと思います。少し違う角度から、効率のこと、動き出し方、失敗との向き合い方を整理したいときは、こちらの記事も近くに置いてみてください。
本気を思い出すための、小さな準備
本気を出す準備は、気持ちだけで頑張ることではないのかもしれません。体を少し伸ばしたり、呼吸を整えたり、家で静かに動く時間を作っておく。そんな小さな習慣が、いざ動きたい時の自分をそっと支えてくれることもあります。
無理に鍛えるためではなく、動ける状態を少しずつ作るために。家で体をゆるめる時間を作りたい方は、今の自分に合うものをゆっくり選んでみてください。
※必要な方だけ、今の自分に合うものをゆっくり選んでみてください。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
この記事が、少しでも気持ちや考えを整理するきっかけになっていたら嬉しいです。
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