きまぐれな紡ぎ手

日々の気づきや思いを綴っています

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「はい」と言ったのにできない理由。わからないと言えない職場で起きるすれ違い

「はい」と言ったのに、実際にやってみたらできなかった。

そんな経験はないでしょうか。

教えてもらっているときは、わかったような気がした。
説明の流れも追えていた。
その場では「大丈夫です」と思った。

それなのに、いざ自分で手を動かしてみると、どこから始めればいいのかわからなくなる。
途中で判断に迷う。
説明されたはずなのに、細かいところで止まってしまう。

そして問題が起きたあとで、こう言われることがあります。

「はいって言ったよね」
「わからないなら、わからないって言えばよかったのに」

たしかに、その言葉は正論かもしれません。
でも、そこだけで終わらせてしまうと、見えなくなるものがあります。

「はい」は、いつも理解の証明とは限らない。

ときには、その場を通り抜けるための言葉になっていることがあります。

「“はい”と言ったのにできない理由。わからないと言えない職場で起きるすれ違い」という文字と、机で考える女性、分かれ道に立つ人物を描いたアイキャッチイラスト

「はい」の奥にある不安に気づけたとき、すれ違いは少しずつほどけていく。

「はい」は便利だけれど、理解を証明する言葉ではない

教わる側にとって、「はい」はとても便利な言葉です。

わかっていなくても、とりあえず「はい」と言えば話は先へ進みます。
相手を待たせずに済む。
何度も聞き返して迷惑そうな顔をされずに済む。
怒られるかもしれない不安を、その場だけは避けられる。

一方で、教える側にとっても「はい」は便利です。

相手が「はい」と言えば、説明が伝わったと判断できます。
次の作業に進めます。
「一応説明した」という形にもできます。

つまり、教える側も教わる側も、短い時間だけ見れば「はい」で楽になれるのです。

ここに、少し危ういところがあります。

お互いが悪いことをしようとしているわけではありません。
ただ、その場を止めたくない。
早く終わらせたい。
空気を悪くしたくない。

その気持ちが重なると、理解していないことを確認しないまま、物事だけが前に進んでしまいます。

いい意味の利害一致と、悪い意味の利害一致

いい意味での利害一致なら、問題はありません。

教える側は、相手に早く仕事を覚えてほしい。
教わる側も、自分でできるようになりたい。

この方向がそろっているなら、「はい」は前に進むための合図になります。

でも、悪い意味で利害が一致してしまうと、少し違います。

教える側は、早く説明を終えたい。
教わる側は、早くその場を抜けたい。

教える側は、「はい」と言われたから理解したことにしたい。
教わる側は、「はい」と言って理解したことにしてもらいたい。

この状態になると、「はい」は理解の言葉ではなく、問題を先送りする言葉になってしまいます。

その場は静かに進みます。
でも、あとからミスが起きたり、同じ質問が出たり、仕事が止まったりします。

そこで初めて、すれ違いが表に出てきます。

「はいって言ったよね」
「でも、やってみたらできませんでした」

どちらか一方だけが悪いと決めつける前に、そこにどんな空気があったのかを見直す必要があるのかもしれません。

教わる側は、わからないことがわからないこともある

問題が起きたあとで、教える側からこう言われることがあります。

「わからないなら、わからないって言って」

もちろん、わからないことを伝えるのは大切です。
わからないまま進めば、ミスにつながることもあります。

でも、教わる側はいつも最初から「自分が何をわかっていないのか」を言葉にできるわけではありません。

一から十まで一気に説明されると、その場では流れを追えている気がします。
「なるほど」と思う。
「こういう順番なんだな」と受け取る。
だから「はい」と返す。

けれど、実際にやってみると別の難しさが出てきます。

最初に見る資料はどれだったか。
この場合も同じ処理でいいのか。
どこまで確認すれば十分なのか。
迷ったときは誰に聞けばいいのか。
最後に回す相手は毎回同じなのか。

説明を聞いているときには見えなかった小さな分かれ道が、実際に動き始めてから見えてくるのです。

地図を見ているときは道がわかった気がしたのに、実際に歩き出すと目印が見つからない。
仕事の説明にも、それと似たところがあります。

聞いてわかることと、自分でできることの間には距離があります。

だから、「はいと言ったのにできない」という出来事を、すぐに「聞いていなかった」「やる気がない」と決めつけてしまうと、本当の原因が見えにくくなります。

「はい」が条件反射になる職場もある

質問しづらい職場では、「はい」が条件反射のように出ることがあります。

本当は少し不安がある。
でも、聞き返したら怒られそう。
「前にも言ったよね」と言われそう。
忙しそうな相手を止めるのが怖い。
空気を悪くしたくない。

そんな気持ちがあると、「わかりました」と言う方が安全に感じてしまいます。

このときの「はい」は、理解の返事ではありません。
自分を守るための返事です。

そして、あとで問題が起きたら「すみません」と言う。

説明の場では「はい」で切り抜ける。
問題が起きた場では「すみません」で切り抜ける。

それは決してよい状態ではありません。
でも、本人がずるいからそうしているとは限らないと思うのです。

どうせ質問しても怒られる。
わからないと言っても怒られる。
やって失敗しても怒られる。

そう感じる環境では、人は理解することよりも、怒られないことを優先してしまうことがあります。

「はい」は、ときどき理解の返事ではなく、怒られないための小さな避難場所になる。

ここに気づかないまま叱り続けると、教わる側はますます本音を出せなくなります。

「はいって言ったよね」で終わらせると、次の失敗が生まれる

問題が起きたとき、叱られやすいのは「はい」と言った側です。

教える側は言えます。

「説明したよね」
「そのとき、はいって言ったよね」
「わからないなら聞けばよかったよね」

表面上は正しい言葉に見えます。

でも、その「はい」が本当に「一人でできます」という意味だったとは限りません。

「話の流れは追えました」
「今はそう返すしかありませんでした」
「質問できる空気ではありませんでした」
「やってみないと、どこがわからないかわかりませんでした」

そんな意味が含まれていた可能性もあります。

もちろん、教わる側にも責任はあります。
わからないことをそのままにしない。
メモを取る。
自分の言葉で確認する。
止まったところを伝える。

これは大切です。

でも、教える側が「はいと言ったから理解したはず」と考えて終わってしまうと、同じことがまた起きます。

「はいって言ったよね」で終わらせると、相手は次からもっと本当のことを言えなくなるかもしれません。

叱られるのが怖いから「はい」と言う。
「はい」と言ったから、あとで叱られる。
叱られたから、次もまた「はい」でやり過ごそうとする。

この流れができると、職場は学ぶ場所ではなく、怒られないように身を守る場所になってしまいます。

教える側が責められない立場ほど、すれ違いは深くなる

この問題が深刻になりやすいのは、教える側が「教え方」を問われない立場にいるときです。

教える側が強い。
教わる側が弱い。
教える側は責められない。
教わる側だけが責められる。

この構造になると、原因の見方が片側に寄ってしまいます。

「なんで聞かなかったの?」
「何回言わせるの?」
「ちゃんとメモを取っていたの?」
「理解していないのに返事だけしたの?」

そう言える立場に教える側がいて、教わる側が何も言えない場合、教え方の改善は起こりにくくなります。

でも、教えるということは、ただ説明することだけではありません。

相手が理解したか確認すること。
実際にできるか見届けること。
つまずいた場所を一緒に見直すこと。
最初の一回を安心して試せるようにすること。

そこまで含めて、はじめて「教える」に近づいていくのだと思います。

教える側が自分の説明を振り返らないままだと、教わる側だけが「できない人」として見られてしまいます。

けれど本当は、「できない人」がいるのではなく、「できる状態になる前に進ませてしまった」のかもしれません。

夕暮れの道を見つめる男女と、「責める道」「確認し合う道」の分かれ道が描かれたイラスト。画像内には「わかってもらう前に、一緒にわかる道を探していこう。」と書かれている。

「はい」で通り過ぎるより、立ち止まって確認し合える方へ。

「はい」を理解の証拠にしないために

では、どうすればいいのでしょうか。

教える側がまずできることは、「はい」を信用しすぎないことです。

これは相手を疑うという意味ではありません。
むしろ、相手をちゃんと見ようとする姿勢です。

「わかった?」と聞いて「はい」と返ってきた。
それだけで終わらせるのではなく、実際に動ける状態かを一緒に確認する。

たとえば、こんな聞き方があります。

  • 最初に何をするかだけ言ってみて
  • 一回ここまでやってみよう
  • どこで迷いそう?
  • この場合はどう判断する?
  • 最初の一回だけ一緒に確認しよう

こうした言葉があると、教わる側は少し安心できます。

「完璧に理解しなければいけない」ではなく、 「やりながら確認していい」と思えるからです。

教わる側も、「はい」だけで終わらせない工夫ができます。

  • はい。まずこれを確認して、そのあと入力するということですね
  • はい。流れはわかりましたが、実際にやるときに迷いそうです
  • はい。一度やってみて、最初だけ見てもらえますか
  • はい。ただ、この場合の判断だけもう一度確認したいです

大切なのは、「わかりません」と完璧に言えなくてもいいということです。

「ここまではわかりました」
「ここからが不安です」
「やってみないとわからないかもしれません」

それだけでも、十分に前へ進むための言葉になります。

「はいと言ったか」ではなく、「できる状態まで一緒に確認したか」。

ここに目を向けるだけで、すれ違いは少し減らせるかもしれません。

「はい」のあとに残った気持ちを、少しだけ整理したいときに

「はい」と言ってしまったあと、何が不安だったのかをすぐ言葉にするのは難しいことがあります。 そんなときは、あとから少しだけ書き出してみると、「本当は聞きたかったこと」や「次に確認したいこと」が見えやすくなるかもしれません。

気持ちや確認したいことを、少しだけ書き出したいときに。

※必要な人だけ、今の自分に合う形で使えるものを選んでみてください。

同じ悩みを、少し違う角度から整理したいときに

「はい」と言ってしまう理由が少し見えてきても、職場で本音を出すのは簡単ではありません。 もし同じような苦しさが残っているなら、近い悩みを別の角度から整理した記事も置いておきます。

「はい」しか言えなくなる職場の空気を整理する リンク先:『「はい」しか言えない職場がつらいあなたへ|意見を奪う空気から心を守る方法』 本音を飲み込んでしまう空気や、意見を言いづらい関係をもう少し見つめたいときに。 注意されたあとに傷ついてしまう理由を見つめる リンク先:『注意されると傷つく人へ|自分が悪いのに相手の言い方が気になる理由』 自分にも非があるとわかっているのに、言い方が心に残ってしまうときに。 正論なのに苦しくなる言葉との向き合い方を考える リンク先:『正論を言われるとつらいのはなぜ?間違っていない言葉が心に届かない理由』 「間違ってはいない言葉」が、なぜ心に刺さってしまうのかを整理したいときに。

責めるより、確認し合う方へ

「はい」は悪い言葉ではありません。

素直に聞いている合図にもなります。
相手を受け止める返事にもなります。
次へ進むための小さな区切りにもなります。

ただ、「はい」だけで理解したことにしてしまうと、見えない不安が残ります。

教える側は、説明したつもりになる。
教わる側は、わかったふりをしてしまう。
その場は静かに進む。
けれど、あとから小さなズレが大きなミスになって戻ってくる。

悪い意味での利害一致は、その場を楽にする代わりに、あとで信頼を少しずつ削っていきます。

だからこそ、必要なのは責めることではなく、確認することです。

わからないことを言える職場は、甘い職場ではありません。
むしろ、問題が小さいうちに見つかる職場です。

質問できること。
確認できること。
最初の一回を一緒に見られること。
失敗したあとに、責任だけでなく原因を見直せること。

そういう小さな積み重ねが、人を育てるのだと思います。

もし誰かに教える立場にいるなら、「はい」の奥にある不安にも少し目を向けてみる。

もし教わる立場にいるなら、「はい」のあとに小さな確認をひとつ足してみる。

それだけで、すれ違いは少し減らせるかもしれません。

わからないことを責めるより、わかるまでの道を一緒に短くする。

その方が、きっと人は安心して前に進めます。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

この記事が、少しでも気持ちや考えを整理するきっかけになっていたら嬉しいです。

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また次の記事も、読んだあとに少し心が軽くなるような言葉を届けていきます。