きまぐれな紡ぎ手

日々の気づきや思いを綴っています

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うまく自分を客観視できない夜に、少しだけ心をほどく話

「自分を客観視したほうがいい」と聞くことはあっても、
実際にはそれがいちばん難しかったりします。

腹が立ったとき。
傷ついたとき。
頭の中がそのことでいっぱいになったとき。

やわらかい自然光が入る部屋の窓辺で、床に座って考え込む人物とキジトラ猫がいるイラスト

感情をなくすのではなく、少し整理するための
「距離感」をやさしく描いたイラストです。

そんなときに「もっと客観的に見よう」と言われても、
いや、それができたら苦労しない、と思うこともあるはずです。

しかもつらいのは、感情に飲まれていることそのものより、
そのあとで「自分はなんでこんなに引きずるんだろう」と責めてしまうことかもしれません。

自分を客観視するとは、
完璧に冷静になることではありません。

もっと言えば、
自分の気持ちを消すことでもありません。

この記事では、自分を客観視するとはどういうことかを、
きれいごとではなく、しんどいときにも使える形で整理していきます。

自分を客観視するとはどういうこと?

自分を客観視するとは、
今の自分を、自分の感情だけの視点ではなく、一歩引いたところから見ることです。

たとえば、

  • 自分は今何を感じているのか
  • 何に反応しているのか
  • 事実と解釈は分かれているか
  • 相手からはどう見えているか

を、少し距離をとって見ようとすることです。

ここで大事なのは、
客観視は「感情をなくすこと」ではない、ということです。

悲しいなら、悲しいでいい。
腹が立つなら、腹が立っていい。

ただ、その気持ちだけで全部を決めてしまうと、
世界が一気に苦しく見えてしまいます。

だから、感情を否定するのではなく、
感情を持ったまま、少し整理する。
それが客観視です。

自分を客観視するとは、自分の気持ちを無視することではなく、その気持ちだけを世界の全部にしないことです。

自分を客観視できないとき、心の中で何が起きているのか

出来事そのものより、受け取り方が心を大きく揺らす

人が苦しくなるとき、苦しさはいつも「出来事そのもの」だけでできているわけではありません。

たとえば、相手に少しきつい言い方をされたとします。
そこで起きているのは、単に「きつい言い方をされた」という事実だけではありません。

その瞬間に、

  • バカにされた気がした
  • 否定された気がした
  • 大事にされていない気がした
  • 自分ばかり我慢している気がした

という受け取り方が重なります。

この“気がした”の部分は、とても大事です。
なぜなら、ここにその人の痛みや疲れや積み重なりが表れるからです。

つまり、客観視できないときは、
事実と、自分の受け取り方が強くくっついている状態とも言えます。

傷ついているときほど、人は視野が狭くなりやすい

しかも、心が疲れているときほど、人は一歩引いて見るのが難しくなります。

  • 我慢が続いていた
  • 余裕がなかった
  • 前にも似たようなことで傷ついた
  • 最近ずっと気が張っていた

こういう状態だと、心は防御モードに入りやすくなります。

すると、少しの言葉も強く刺さります。
少しの違和感も大きく見えます。

だから、客観視できない自分を見て、
「自分は未熟だ」と決めるのは少し違います。

それは未熟さというより、
しんどさの中で心が狭くなっている状態かもしれません。

ここをわかっているだけでも、少し呼吸がしやすくなります。

自分を客観視することと、自分を否定することは違う

客観視は「自分を責める」ためのものではない

「客観視しなきゃ」と思う人ほど、
実際にはそれを“自分を反省させる道具”にしてしまいやすいです。

  • 自分が悪かったんだ
  • 自分が気にしすぎなんだ
  • 自分がもっと大人になればいいんだ

こうやって全部を自分に返してしまうと、
それは客観視ではなく、ただの自己否定になってしまいます。

客観視は、犯人探しではありません。
自分を裁くための目でもありません。

そうではなく、
「何が起きていたのかを落ち着いて見ていく目」です。

相手に問題があることもある。
自分が疲れていることもある。
両方あることもある。

そのくらいの余白を持つことが、客観視に近いです。

自分にも相手にも、少し余白を作る見方

人はつらいとき、白か黒かで考えやすくなります。

  • 相手が全部悪い
  • いや、自分が全部悪い

でも実際は、その間にいろいろあります。

相手の言い方はよくなかった。
でも自分もかなり疲れていて、いつも以上に強く受け取っていた。
本当は「責められた」のではなく、「責められた気がした」部分もあった。
ただ、その傷つきは本物だった。

こうやって少しずつ分けていくと、
自分を責めすぎず、相手だけを悪者にしすぎず、状況を見やすくなります。

客観視とは、冷たくなることではなく、
決めつけを少しゆるめることでもあります。

自分を客観視するときは「4つ」に分けると整理しやすい

感情が混ざって苦しいときは、頭の中で全部が一塊になっています。
そんなときは、次の4つに分けると少し見えやすくなります。

湯気の立つマグカップと観葉植物のある机で、ノートに向かう人物を描いた明るい色合いのイラスト

頭の中が混ざっているときは、いきなり答えを出すより、
少しずつ分けて見ていくほうが整理しやすいことがあります。

1. 事実

まずは、何があったのかです。

例:相手に少し強い口調で言われた。

ここでは、なるべく録音したら残る内容だけに近づけます。

2. 解釈

次に、自分がどう受け取ったかです。

例:責められた気がした。見下された気がした。

これは悪いものではありません。
ただ、事実そのものではなく、自分の受け取り方です。

3. 感情

そのとき何を感じたかです。

例:悲しい、悔しい、腹が立つ、むなしい。

感情は正誤ではなく、反応です。
まずはそのまま置いていい部分です。

4. 望み

本当はどうしてほしかったかです。

例:もう少し穏やかに言ってほしかった。
自分の事情も汲んでほしかった。
軽く扱わないでほしかった。

実は、ここまで見えるとかなり整理が進みます。

怒りだけに見えていたものが、
その奥では「わかってほしかった」「雑に扱われたくなかった」という望みだったと気づくことがあります。

それが見えると、
自分の中で起きていたことが、少し人間らしいものに戻ってきます。

自分を客観視したいときに、すぐ使える小さな見方

「私は今、何を事実だと思っている?」と聞く

しんどいときは、頭の中の解釈が事実のように広がります。

  • 嫌われたに違いない
  • バカにされた
  • 自分はもう見限られた

そう思ったときほど、
「それは事実だろうか、それとも今の自分の受け取り方だろうか」と聞いてみると、少し距離ができます。

全部を否定しなくて大丈夫です。
ただ、混ざっているものを分けるだけでいいのです。

「今の私は疲れていないか」を先に見る

意外と見落としやすいのが、自分のコンディションです。

寝不足。
我慢の蓄積。
忙しさ。
気の抜けない日々。

こういうものは、心のレンズを簡単に曇らせます。

だから、出来事だけを分析する前に、
「今の私は弱っていないか」を先に確認するのは、とても大事です。

弱っているときに世界がきつく見えるのは、わりと自然です。
世界のすべてが急に敵になるわけではありません。
こちらのHPが減っているだけ、ということもあります。

友達の話ならどう聞くかを想像する

自分には厳しくなりやすい人ほど、この見方は役に立ちます。

もし親しい人が同じ話をしてきたら、
自分は何と言うだろうか。

  • それはつらかったね
  • 相手の言い方もよくなかったかもね
  • でも今かなり疲れてるのもありそうだね
  • まず少し落ち着こうか

たぶん、自分に向けているよりずっとやわらかい言葉を使うはずです。

その言葉を、そのまま自分に返してみる。
それも立派な客観視です。

自分を客観視するとは、
冷たく突き放して見ることではなく、
少し離れて、でも見捨てずに見ることなのだと思います。

まとめ|客観視は“冷たさ”ではなく“整理”に近い

自分を客観視するとは、
自分の気持ちを押さえつけることではありません。

感情に巻き込まれている自分を、
「そんなふうに感じていたんだね」と少し引いて見ていくことです。

事実。
解釈。
感情。
望み。

この4つが少し分かれるだけでも、
苦しさはほんの少し整理されます。

大事なのは、
客観視できない自分を責めすぎないことです。

つらいときに視野が狭くなるのは、
心がちゃんと反応しているからでもあります。

だからまずは、完璧に冷静になろうとしなくて大丈夫です。

次にしんどくなったときは、
ただひとつだけでもいいので、こう聞いてみてください。

「今の自分の中で、事実と気持ちは少し分けて見られるだろうか」

それだけでも、気持ちに飲まれる流れは少し変わり始めます。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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また次の記事も、少しでも気持ちや考えを整理しやすくなるように書いていきます。